断罪


前田文相は、マッカーサーの民主主義に同調しようと努力したが、教育勅語の「魔力」に引きずり込まれて行った。

1945年11月2日、彼は全国府県知事会議で、「現在の悲しむべき道徳的荒廃は国民が教育勅語を無視しているからだ」と嘆き、「わたしは道徳を振興させるため、まず道徳教育に重点をおき、宗教的感情の養成に力を入れることにしたい」と語った。

前田の「宗教的感情の養成」は、熱烈なキリスト教信者であるマッカーサーを喜ばせた。

しかし養成する前に雑草を引き抜かねばならない。特に、キリスト教系を迫害した「赦しがたき行為」に対して即刻処罰をする、とマッカーサーは宣言した。

大学への強制介入


東京の立教学院(立教大学)の総長とその側近10人が、即時解任されるべき者として名前が挙げられた。

マッカーサーは、「調査すべき学校」として82校をあげ、1945年10月24日付の命令を「信教の自由侵害」と呼んだ。

マッカーサーはキリスト教を救った後、神道の追放に取り掛かり、12月15日、国から少しでも援助を受けている学校では「神道」を教えてはならない、神道に関する授業は「即刻停止するべし」と厳命した。

公立学校が、神社での祭典、式典の行事に参加することも禁止した。

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さらに、文部省教学局が編集し、出版した『国体の本義』とその普及版『臣民の道』や、それに類似した書物全てを禁止した。


前田文相 vs. 朝日新聞


この禁止令が出る前に、前田文相は『臣民の道』の残っている貯蔵部数を全て焼却、廃刊処分にしていた。前田は、その本の内容が「不都合なもの」であると言った。

『朝日新聞』(12月4日)は社説で前田文相を痛烈に批判した。

「学校教師に至っては、ひとたび、これを手にせずして教壇にのぼった者は皆無といってよかろう」

「前田文相は、極めてあっさりと、その絶版廃棄を言明しただけで、......ただ機械的に、これを絶版にするというだけでは、国民も教師も、ただ馬鹿にされたという感じしか持ち得ないであろう」

「重要なのは『臣民の道』に盛られた思想そのものにつき、文相が厳正なる批判を国民の前に示すべきであるということである」

「批判なき廃棄は、単なる焚書であって、......焚かるべきものは、一個の『思想』であって、一片の文書ではない。一個の『思想』を焚くには、別個の『思想』による峻厳なる批判を以てする外はないのである」(原文は旧かな)

前田文相は、『国体の本義』の破棄を命じはしなかった。天皇大権の優越を信じ、日本国の民族的な純粋さ(国体)に確固たる信念を持っていたからである。