日本人の歩む道


元駐日大使(10年間)だったジョセフ・C・グルーが、この大学建設資金募集のアメリカ全国委員長に就任した。

1949年、『現代の日本(コンテンポラリー・ジャパン)』誌のクリスマス号に、日本国民への公開状を書くよう求められた時、グルーは国際基督教大学について執筆した。

彼は国務省の知人、W・ワルトン・バターワース国務次官に自分の書いた原稿に目を通してもらった。バターワースはグルーの原稿を大変気に入った。

グルーは「日本人を精神的、道徳的に目覚めさせ、教育するためには、国際基督教大学ほど優れた方法は他にない」というアメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督(日本帝国海軍を沈めた男)の言葉を引用している。

また、グルーはワシントンで、1950年5月31日に開かれたキリスト教大学創立財団の集会で演説し、日本の歩む道は「キリスト教の主義と民主主義の道」しかなく、この道を誤れば、「日本の破滅をもたらした古い軍国主義的封建制」か「共産主義へ至る」道を歩むことになると言った。


ニミッツ提督と東郷平八郎


余談になるが、ニミッツは、東京湾で日本が降伏文書に署名したミズーリ号の艦長であった。

ニミッツは、日露戦争の時、日本海海戦でのロシアの誇り、ロシア皇帝の最後の切札であるバルティック艦隊を撃滅した日本海軍の鬼才東郷平八郎を崇拝していた。

86歳で死去した東郷が国葬になった1934(昭和9)年6月5日、ニミッツはアメリカ儀礼艦オーガスタの艦長として参列した。

また、東郷家の内輪だけの葬儀にも招待された。

日本海海戦の旗艦「三笠」が横須賀で錆びつき朽ち果て、今にも沈むかもしれないと聞きつけ、1945年9月2日のミズーリ号で日本降伏調印式が行なわれる前日、ニミッツは「三笠」を見に横須賀港まで足を運んだ。

「三笠」の無残な姿を見て、愕然とした。

彼は各界に働きかけ、アメリカ海軍にも協力させ、そして自らも浄財を寄せ、「三笠」の復元に尽力した。ニミッツは「武士」であった(名越二荒之助『世界に生きる日本の心』 展転社、1987年 参照)。


基督教大学の誕生


日本基督教大学基金は、1949年6月、アチソン国務長官に150万ドル以上の資金が集まったと報告した。

マッカーサーは「募金委員会の名誉会長」となり、この計画の熱心な支持者であった。

大学計画をさらに推進するために、1950年10月、グルーが訪日した。同年11月29日、グルーは日米学生交換等のために500万円と当時では高額の奨学基金「グルー基金」を設立した。

この大学は東京の近郊、三鷹にある。

キリスト教を崇め、日本文化がキリスト教文化へと変身して行くことを願っていた日高第四郎は、1952(昭和27)年、占領が終わった年、この国際基督教大学の教授になった。

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1950年代の国際基督教大学