マッカーサーのモルモット


事実、1947年1月20日、「新教育」が開始される直前、オア教育部長は報道陣に、「国際関係の研究、国連機構に重点をおいた」と説明している。

この日本史の「新解釈」は、歴史の真実のためにではなく、マッカーサーのモルモットとして、世界から隔離された彼の実験室で、日本が学ばなければならなかった新しい宗教であった。

国連が日本と世界を争いから救うという信仰である。

新しい「日本史」は最早「歴史」ではなかった。

文部省とGHQ・CIEから溢れ出た「メモ(指令)の洪水」を前にして、日本の教師や学生たちは驚き、狼狽えた。

政治顧問事務室(外交局)に配属された日本通のカール・C・リーブリックは、激変の渦の中で翻弄されている教師たちについてアチソン政治顧問に、「教師たちは文部省なり、あるいはGHQからの指令や援助がもっと必要だといっている」と報告した。


名誉・道徳の源泉としての天皇


安倍能成文相(公職追放になった前田文相の後任)は、日本の教育についての混乱を解消するため、『毎日新聞』との会見(1946年1月13日)で、次のような方針を打ち出す。

「私は天皇を名誉、道徳の源泉と考えたい。国民学校などでも天皇に関するものは今後やりにくかろうが、無理な形式はさけて自然のうちにこの方向へ導くことがよかろうと思っている」

この記者会見には『朝日新聞』の記者も同席した。



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安倍能成


『朝日新聞』(1月14日)には、安倍文相の日本史に関する見方が載っている。

「今日の問題になっている国史の編纂も文部省の責任をもって当らねばならないわけだが、にわかに見方をふりかえたところで真の歴史が明らかにされるものとも思えぬ、民主主義に国史を解明しつくしたとて必ずしも国史の真相を掴んだとはいえまい、神がかり的な分子を除き静かに研鑽してゆくことによって案外国史把握の近道を見出すのではあるまいか」

文部大臣がこのような言葉を吐いていたので、一般教師たちは、うっかり動いては罰せられると恐れたのは当然であろう。

リーブリックは、「校長や教師たちは、自発的に行動すると、後で叱責されたり、懲罰を受けるかもしれないと恐れ、躊躇いがちである」と書いている。