地方自治なき日本


教師らが懲罰を受けるかもしれないという恐れは、七十七年間続いた明治体制の政策が大成功していたことを示している。

「地方自治」は存在しなかった。

GHQも、「地方自治という考えは、民間から出てきたいろいろな憲法草案の中でも目立って欠落していた項目であった」という。

しかし、文部省は、民主主義に従う熱意を見せることが、GHQを喜ばせると信じて疑わなかった。

それをリーブリックは、アチソン政治顧問に「文部省と学校当局者の協力は表面的に見れば完全であった」と報告している。


安倍文相への反論


安倍文相の考え方に反感を覚えた国民もいた。

その反対意見が『毎日新聞』(1946年2月15日)に投稿された。

「文相は戦犯団体というべき大日本教育会の会長就任を保留したいという。......安倍文相も貴族院議員になってから急に一面識もない幣原首相の讃美論をやったり、文相になってから天皇制や国体護持に神経質になり......」。


洗脳教育の役割


マッカーサーが占領開始と同時に新憲法を書き上げたのは、新しい政治哲学、「民主主義」と「無防備の美徳」を日本国民に教えるためであった。

しかし彼は、日本の民主主義と第九条が占領の終わった後、消滅させられ、国民主権から天皇大権へ逆戻りするのではないかと真剣に憂慮していた。


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それ故、日本の若い世代の洗脳教育に力を注いだのだ。


「政治教育」事始め


日本国民が政治には無関心であることは、マッカーサーにも明らかであった。無関心が最も危険であると読んだマッカーサーは、自分の部下たちに次の指令を出し、日本国民の政治教育に努めんとする。

⑴ 「日本国民の政府に対する現在の冷めた態度を積極的な政治参加の態度に変える」

⑵ 「新憲法の下における日本国民の権利と責任を理解させる」

⑶ 「古めかしい全体主義的な〝法と秩序〟の観念を抹殺する」

⑷ 「全体主義、国家主義思想の背後にある妄想を認識させ、自由で民主的な国家に生きることの喜びを教え込む」