『あたらしい憲法のはなし』


マッカーサーの日本再教育作戦に参加させられた文部省は、1947(昭和22)年8月2日、『あたらしい憲法のはなし』を出版した。

これは中学一年生の社会科用であったが、その人気が高かったので、中学校の全学年に分配された。

CIEは「約700万部が印刷された。日本の出版界の中で最大の発行印刷部数である」と誇らかに宣言した。

しかし、CIEは「大半の校長や教師は、政治の授業を学校の責任とは認めていない」という事実を発見した。


ベル博士の勧告


ハワード・ベル博士は、オア部長に

「1947年11月現在でも、無気力と恐怖は依然として色濃く漂っている。......多くの日本人が民主的責任というものは投票で終わってしまうと信じている。......唯一の解決は、生徒たちに早くから政治参加の習慣をつけさせることである。我々はこの責任を引き受けねばならない」

と勧告した。

CIEは文部省に「政治教育が主要な目標になる」と通達した。

政治教育は「社会科」と名付けられ、平和の美徳、平和主義の知恵、侵略の悪を小学生一年生から植え付けた。

私が小学1年生の時からこの教育が始まった。家にあった「肉弾三勇士」の絵本を教室に持って行き、級友たちに見せびらかしていたら、先生にこっ酷く叱られ、廊下に立たされた。

絵本も没収された。

211.png 『大阪朝日新聞』に掲載された肉弾三勇士



教育哲学・方針の模索



日本の歴史には、敗戦の惨めな思い出しかなく、恥ずべきものと見られ、忘れ去ることが新日本の誕生になると思われた。

「科学的」は「平和的」とみなされ、「新しい科学」が日本人の新しい「神話」になっていった。

原爆の黒い灰から逃げようとしながらも、その科学的な威力に釘付けにされていたのだろう。

日本国民は混乱し、文部省は新しい教育哲学・方針を求めて苦悩していた。マッカーサーさえも、「あなたは正しい」と言ってくれる人を探していた。

1946年3月、「教育使節団」がマッカーサー元帥を応援するためにアメリカから東京にやって来た。