学問の自由


新憲法には、学問の自由の保障を謳った条項がある。

教育使節団は、「学問の自由を守る確実な方法は、教授会に学問に関する事柄について決定権を与えることである」と続け、「社会的責任の精神」を大切にした「教師、教授および大学の全国的な協会」を設立することを奨励し、さらに、「学問の自由に財政的圧迫が加えられないように、警戒が必要である」と言明した。

学問の自由を守るためには、大学教授は「勤務評定」という圧力からも解放されなければならない、と勧告している。

事実、戦前に文部省が行なった勤務評定は、教師や教授を諂い者に転向させるのに利用された。



出版か、滅亡か


余談。アメリカの大学では、国による「勤務評定」はないが、教授の「能力評価」は、日本の大学では想像もつかないほど厳しい。

アメリカでは、教授たちが同僚を評価する。学部長も教授たちを勤務評定する。本か研究論文を毎年出版しなければ教授として留まれない。


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この掟を「Publish or perish」(出版か滅亡か)と言う。

さらに、毎年行なわれる学生による、公開される「教授の授業評価」も重視される。重視されるどころか、学生の評価で1、2番になると、学長から表彰状と金一封が出る。

戦後、日本の大学では、教授の「勤務評定」は「国家による不当な統制」と思われ、いかなる「評価」もなされない。

専門家のプロ集団であるべき教授たちの月給は、「評価」がない故、いまだに能力別でなく、年功序列である。

日本の大学にも、「市場原理」を導入し、長い間護送船団方式に甘えきっている教授たちに自由競争をさせることが、日本の大学を活気づけるのではなかろうか。



全国大学教授連合の結成


全国大学教授連合が1946年12月1日、結成された。アメリカ大学教授協会(AAUP)を踏襲したものであった。

AAUPの規約には「学問の自由」の条項がある。日本の大学教授連合規約には、ない。

しかし、1949年10月、レッドパージ(赤狩り、共産主義者追放)が全国に及んだ時、「学問の自由」を守るため勇気ある声明を出したのは、この大学教授連合であった。

同連合は1951年には、大学92校に、計1万5200人以上の会員をもつまでに膨らんだ。