バターン・クラブの日本虐め


高瀬
「6・3制はアメリカの勧告に基づき作った制度です。国民はこれを熱心に支持しています。校舎建設予算をGHQが認めないとすれば、国民の占領当局に対する信頼にさえ影響するかもしれないことを私は心配しています」

マーカット
「君は国民の占領当局に対する信頼云々を心配する必要はない。もし財源がないのなら、司令部にしろ日本政府にしろ、支出を許可し得ないものだ。要は、日本国民が校舎建設費用を自分で出さなくてはならないのだ」

高瀬
「これは日本政府ならびに国民のせつなる願いですので、どうか特別の考慮をお願いしたい」

マーカット
「日本側の提案を検討したうえで、できる限りの支持を致そう」

校舎建設予算は、全額削除のままで終わった。

「バターン・クラブ」の一員であるマーカットは、日本人を好きではなかったので、文相虐めを楽しんでいたのであろう。

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「バターン死の行進」を伝える米国のポスター


リチャード・フィンは、「教育にもっと金が回されるまでは、大きな改善は無理である」と要点を衝いた。



窮状に次ぐ惨劇


文部省は、1950年9月15日、2冊からなる調査報告書「藁なしの脆い煉瓦(Bricks Without Straw)」をCIEに提出した。日本国民が耐え忍んでいる「恐るべき状況」を写真付きで、まざまざと示していた。

この惨めな状態に追い撃ちをかけるかのように、同年9月2日〜3日にかけて、ジェーン台風が四国、近畿、中部地方で猛威をふるう。

死者と行方不明者539名、負傷者2万6062名。

その10日後、キジア台風が九州、四国、中国地域を襲う。死者・不明者63名。両台風で、田畑・農作物も大打撃を受けた。