日教組の本性


全国で教育予算が雀の涙ぐらいしかない危機の真っ最中、東京都を含め、各地の教育委員たちは、自分たちに月給をお手盛りで議決した。

1948年10月、選挙直後に日教組が始めたこの全国的な「月給運動」は、違法行為であった。教育委員は、それを十分認識していた。

教育委員会法の第31条は、「地方公共団体は、当該教育委員会の委員に対して報酬を支給しなければならない。但し、給料は支給しない」と定めている。

第8軍政当局は衝撃を受けた。日教組が本性を現わしたと思ったのだろう。

激怒した東京軍政局は、1948年12月8日、東京都教育委員会の全委員6名を呼びつけた。この6名は、29人の立候補者から選ばれた人たちである。



部隊長vs. 教育長


スターリング大佐(部隊長)

「地方では、皆が東京都に模範を求めている。アメリカでは、教育委員会員という地位は名誉職とみられておる。お前たちが卓越した誠実さと識見とを備えているということなのだ。お前たちが毎月の月給を受け取るのを断念すれば、日本経済の安定回復に多大の貢献を果たすことは確かだ。お前たちは、日本の歴史を作る素晴らしい機会に恵まれているのだ」

山崎(匡輔)(東京都教育委員長、前文部次官)

「ご意見はよく理解できます。法律によって、私どもに他の地位につくことが禁じられています。自分自身の財産がなければ、教育委員としての仕事は務まりません。東京都教育委員が受け取らないという先例を作れば、金持ちしか教育委員になれないということになりましょう」

スターリング大佐

「しかし、教育委員が月給をもらえば、また一つ役所を設置し、役所の事務が増えるということでもある」

山崎

「私は高給を望んでいるわけではありません。ですが、私どもが生活に足るだけの月給をもらわないとなると、教育委員になれるのは資産家だけです。私どもは、東京都議会に月給額を決定してもらうことに同意しています。私どもの誰一人として、高額な月給を受け取ることは望んでいません。ただ、生活費相当額でよろしいのです」


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