日教組を潰せ


ニュージェントはオアに、
「非常に驚いている。日教組の教育委員会に対する影響力と同じように、この月給問題は、戦前の中央集権よりも大きな危険を地方分権化に与える。次の通常国会に、教育委員会法の修正案を持ち込むことを考えようではないか(必要なら棍棒を使ってでも)」

「軍政局の連中は、彼等の言ったことを誤って伝えられているか、さもなければ、教育の行政や運営について日本人よりも無知である......この事態はまさに深刻である」と強い懸念を表わした。

地方教育委員会が失敗したもう一つの理由は、日教組の組合員が多数選出されたことだ。

占領当初、マッカーサーと日本政府に奨励されて、教師たちは政治運動に参加した。彼等の急激な左傾化は、マッカーサーとGHQの怒りを買い、文部省を慌てさせた。GHQの日教組に対する不満は強かった。



トレイナーの説教


ジョセフ・トレイナーは、民主主義を教えるために、定期的に「日教組の実力者たち」と会合した。最初の会合は1948年7月15日に行なわれた。

トレイナーは彼等に、

「教職員組合が日本の学校を運営することは許さない。組合は、いつも喧嘩腰にならず少しは協力すべきである。そろそろ、大人としての〝成長ぶり〟を示す時期がきたぞ」

と説教した。

「素晴らしい! その線でやってくれ」と、ニュージェントはトレイナーを励ましている。

日教組は、GHQが望んだような成長を遂げるどころか、より闘争的となり、さらに共産化した。日教組を嫌悪したGHQと日本政府は、教職員に「政治的中立」を要求し、一時失った権力を着実に取り戻していった。



ソ連の手先


日教組は、日本政府を邪悪な反動呼ばわりし、政府は日教組を陰険なソ連の手先と考えた。

こうして、民主主義の舞台が用意されていたにも拘らず、中国は毛沢東に奪い取られ、朝鮮半島はいまにも火を噴きそうになり、あたかもアジア全土がアメリカと日本にとって非常事態になり、民主主義の成長は期待にそむく結末を迎えることになった。


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民主主義や地方分権化を、無政府主義(アナーキー)の到来と慄いていた文部省は、GHQが共産主義を悪の権化だと見ていることに便乗し、巻き返しが急務であることを力説し、地方分権化は共産主義を助長する事態となる、と主張した。

さらに、文部省が教師たちの思想を統制する責任を持たされるべきであると説得に努めた。