反共声明


7月4日は、アメリカの独立記念日。その日、マッカーサーは一つ問題を提起した。

「民主主義に公然と反対し、また既存の秩序に反対する組織を合法政党として活動することを認めるべきかどうか」。

共産党は、生きている価値がないのではないか?

問いの中に、答えは出ていた。

日本のマスコミは、マッカーサーが、日本政府に共産党を非合法と宣言させることを望んでいると正確に受け止めた。激しい恐怖と挫折感が共産党を襲った。

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米国「独立宣言」署名の様子


正しい「右寄り」


マッカーサーの7月4日の声明は、「GHQから出された最初の公式提案」だったかもしれないが、それより前に吉田首相は、共産党攻撃を公式の場で開始していた。

1949年5月11日、東京の新聞記者クラブで開かれていた最初の首相主催の会食の席上で、吉田は

「我々は社会主義者と目を見つめ、話し合ったことがない。我々は共産主義者が大嫌いである。その意味において、我々ははっきりと右寄り(英語で right)である。しかし同時に、我々は正しい(英語で right)と信じている」

と断言した。

マッカーサーの反共声明によって勇気づけられ、吉田の共産主義への猛攻撃は一層激しくなった。



吉田の追撃


1949年9月2日、吉田は同9月4日に予定していた演説草案をマッカーサーに提出し、「検閲して下さい」と願い出た。

吉田の英文草案。

「マッカーサー元帥が言われているように、我々日本は、人類の自由の砦にならなければならない」

「我々は共産主義を撃退しなければならない。共産主義は外国の扇動に指導され、欺瞞と脅迫によって日本国内に混乱を引き起こし、社会秩序を破壊することを狙っている。我々はこの不吉な勢力に勇気を持って対決し、それを征服しなければならない」

「日本共産主義者たちの多くは、無知と欺瞞の犠牲者だと思う。彼等に反省と自己覚醒の機会を与えるなら、彼等は善良な市民に立ち戻ることができるのである」

マッカーサーは、吉田の演説草案の余白に、「全く異議なし(Entirely unobjectionable)」と手書きの許可を出した。

吉田は、このような演説を行なった後、共産主義者たちの態度が明らかに戦闘的になった、と述べた。当然である。