トルーマンの懐刀


1951年1月4日、トルーマン大統領は記者会見で、「アメリカ軍は国連の許可なしには中国を爆撃しない」「私は第三次世界大戦が今年中は避けられることを希望する」「アメリカは現在朝鮮において正式に戦争を行なっているのではなく、単に国連に対する義務を遂行しているにすぎない」と言って、中国が参戦してこないように配慮をしていた。

この記者会見から5日後、1月9日、アチソン国務長官と新しく国防長官に任命されたジョージ・C・マーシャルは、トルーマン大統領に極秘書信を送り、「マッカーサーと協力して、日本政府と平和交渉を行なうため、ジョン・フォスター・ダレスを大使という形で大統領の特別使者として任命されるよう」進言した。

アチソンとマーシャルは、大統領からダレス宛ての手紙を草稿し、大統領は翌日それにサインし、ダレスにこの手紙を送った。


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ジョン・フォスター・ダレス


ジョン・フォスター・ダレス


ダレスは、既にアチソン長官の政策顧問として、対日平和条約に関してアジア諸国を駆け巡っていた。

トルーマンはダレスに正式の位「特使」を与えた。ダレスは、トルーマン(民主党)の政敵である共和党員であったが、アメリカ外交・国益の立役者として信頼されていた。

ダレスは、プリンストン、ジョージ・ワシントン、ソルボンヌ(パリ)の三大学を卒業した法学博士であった。

1945年、国連を創設したサンフランシスコ会議では、アメリカ代表を務めた。また、対日平和条約での業績を認められ、アイゼンハワー新大統領に国務長官として任命され、1953年から6カ年という長い任期を務める。



アラン・フォスター・ダレス


彼の弟、アレンは第2次大戦中、ヨーロッパのOSSのスパイとして活躍し、加瀬俊一とも接触があった。

アレンは、1953年から1961年までCIA長官を務めた。