逆コースへの活路


マッカーサーが朝鮮半島で、攻防を繰り返している間、吉田首相に牛耳られていた保守政権は、自分たちの共産主義への恐怖心を増大させ、それで日本国民を戦慄かせていた。

この保守派による政治宣伝は難しいことではなかった。というのも、日本国民は、共産主義と大嫌いなソ連を同一視していたので、共産主義はいつまで経っても不人気のままであったのだ。

しかし、保守派は、国民が冷静に共産主義を拒否しているだけでは満足せず、共産主義者は戦前と同じように牢獄へ入っているか、さもなくば絶え間なく迫害されていなければならなかった。


暴力革命


迫害された共産主義者たちは、秘密結社として生き残り、GHQや吉田政権に対し激しい敵意を表わした。彼等は、公然と暴力革命を企てた。


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追いつめられた共産主義者たちは、失うものは最早何もなく、暴力革命で得るものばかりだと考えていたのだ。彼等の反社会的行動は、日本政府に彼等をさらに粉砕する口実を与えた。戦前によく見られた悪循環が、また始まりだした。

荒れ狂うレッドパージが、異常な魔女狩りの形相を示し始めた時、かつての「戦犯」が自由に動き回るのが許された。

新しい日本は、古い日本に逆戻りするのだろうかと思った人たちは共産主義者たちだけではなかった。


単独講和の重み


天皇が秘密に、「赤狩り」の素晴らしい成果について心からの感謝をシーボルド政治顧問に伝え、共産主義と戦うため、日本はもっとアメリカの努力に手助けをしなければならないといったのは偶然の一致ではない。

マッカーサーが「神より、私、老兵に与えられた最後の闘いである」と神に感謝した朝鮮戦争は、共産主義の邪悪な企みを赤裸々に見せつけたが、占領下の日本は、調子に乗って連合軍の一員であるソ連や共産主義を攻撃することはできなかった。

マッカーサーがソ連を当惑させ、苦しめるための政治宣伝工作としてしか考えていなかった平和条約は、今や絶対に必要なものとなった。独立した日本が堂々と、誰に遠慮することもなく、ソ連や中国や北朝鮮を攻撃できるように......。