単独講和


1951年9月8日、日本はサンフランシスコ平和条約に調印した。

スターリンのソ連、毛沢東の中国は出席せず、吉田首相が招いた日本社会党はサンフランシスコに来なかった。

社会党は「全面講和」を推進していた。この当時、筋の通った野党であった。


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日米安全保障条約


同じ日、日本とアメリカは相互安全保障条約に調印し、アメリカが日本を防衛すると約束した。この「約束」故、日本中にアメリカの軍事基地がある。

第2次世界大戦の最大の激戦地の1つ、20万人近くの日本人と4万9151人のアメリカ兵が戦死した沖縄は、日本に返してもらえなかった。

沖縄の重要性は、誰の目にも明らかであり、1947年6月19日、ジョージ・アチソン政治顧問は、トルーマン大統領に、

「沖縄は、日本にとって経済的価値はありません。それどころか、経済的負担です。しかし、我々にとって、沖縄は西太平洋諸島の空軍力に重点を置いているアメリカ軍事力の要であります」

と進言している。


沖縄


沖縄は、日本が支払わなければならなかった用心棒代であった。

沖縄は、憲法第9条の化石化した虚像を支えるために、人柱にされた。

日本国民の責任回避の犠牲にされた。

沖縄は、日本国民の勇気の不在、臆病の生き証人である。