日本が戦争に突き進んだ本当の理由

1945年8月15日、4年間の長きにわたり日本と連合国の間で繰り広げられた太平洋戦争が終りを迎えます。この戦争は様々な要因が複雑に絡み合って起きたわけですが、一般的には軍部の暴走が原因と言われています。

陸軍(関東軍)の独断で行われた満州事変(1931年)に端を発する国際連盟の脱退は日本の国際的孤立を決定的なものにしてしまいます。そして当時、中国への進出を狙っていたアメリカとの利害の対立をさらに深める結果となってしまったのです。

さらに1938年の盧溝橋事件に始まった銃撃戦は、そのまま終わりのない戦いに突入し日中戦争に拡大していきます。そして紆余曲折を経て、もはや外交交渉による問題解決が不可能と判断した日本は、早期講和を目指し1941年12月8日、運命の真珠湾攻撃に至ります。

歴史にIFはありませんが、こうした軍部の暴走がなければ戦争にはならなかったと言われています。一体なぜ、軍部は暴走してしまったのでしょうか?

勝ち続ける日本

戦前の日本は明治維新以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と立て続けに大きな戦争で勝利を重ねていきます。結果、国際連盟では常任理事国となるまでに認められ、当時の世界における列強の一角としての地位を盤石のものとしていきます。

清もロシアも大国です。国土は明らかに日本よりも広大で、人口も兵力も日本の何倍もありました。こんな大国相手に戦争で勝ってしまったわけですから、当時の日本人に大国アメリカでも清やロシア同様に勇敢に立ち向かえば勝てるという思いがあった可能性は否定できません。

しかし、細かく分析すると清もロシアも国家の総力を結集して日本と戦ったわけではありません。彼らにとっては対日戦は局地戦だった上に戦争を何年も継続するわけにはいかない国内事情がありました。それが証拠に日清戦争も日露戦争も相手の「降伏」ではなく「講和」で戦争が終結しています。

また、当時の覇権国家だった大英帝国と日本の繋がりが深かったことが大きいのです。事実、日清戦争で兵士達に最も多く配備されたスナイドル銃は明治初期にイギリスから大量に輸入したものですし、日露戦争で日本海海戦を制した戦艦三笠もイギリス製です。

誤解を恐れずざっくり言ってしまうと覇権国イギリスの後ろ盾があったからこそ、日本は戦争に勝ち続けることができたのです。

明治維新と大英帝国

英国と日本の関係は幕末・明治維新に始まります。幕末はアメリカの黒船の印象が強いのですが、幕末維新の時代を通して日本に最も強い影響を与えたのはイギリスです。

英国の武器商人トーマス・グラバーは日本にイギリス製の武器を大量に販売しましたし、幕府を見限り倒幕のシナリオを描き、坂本龍馬を初めとする維新志士達を陰で支援していたのもイギリスだという説もあるくらいです。

当時、イギリスの首都・ロンドンは世界の中心として最も栄えていた先進都市でした。世界中からモノが集まり、工場では物資が大量に生産され、地面の下には地下鉄が走っていました。

そしてそんな世界の覇権国家イギリスに伊藤博文(初代内閣総理大臣)、井上馨(初代外務大臣)、森有礼(初代文部大臣)といった多くの才能ある日本の若者が留学していきます。

世界最先端の都を見て、大英帝国の凄さと日本の工業化の遅れを肌で感じた彼らは勉学に励み日本の近代化に大きく貢献していきます。イギリスはそんな「親英派」の彼らを通じて明治新政府に影響を与えていくのです。

明治維新の謎

しかし、なぜイギリスは極東の島国の明治維新に関与したのでしょうか?

当時、欧米列強は植民地争奪合戦を繰り広げていました。日本のお隣の国、清国もイギリスにアヘン戦争を仕掛けられ、ボロボロにされてしまいます。日本はそんな植民地争奪合戦の最後に残った極東の島国だったのです。

そして、そんな植民地支配に長けたイギリスが、なかなか言うことを聞かない旧支配者の江戸幕府を倒して、親英の新支配者を擁立し、裏で操ろうと考えていたとしても不思議ではありません。

明治維新とはイギリスの世界戦略の一つだったのです。

そして、この戦略の上に踊らされたのが幕末の維新志士でした。イギリスにとって用のなくなった彼らは明治以降、次々に暗殺されていきます。坂本龍馬(暗殺)、大村益次郎(暗殺)、西郷隆盛(西南戦争で自刃)、大久保利通(暗殺)などなど。

最後に残った英国留学生の伊藤博文が初代内閣総理大臣になったというのは果たして偶然だったのでしょうか?

われわれ日本人は明治維新をもう少し詳しく知る必要があるのかもしれません。

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