blog180.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

大学の授業は、コロナで一変しました。
しかし、占領期の大学改革の激震にくらべると、比較になりません。

各大学のホームページをみても、太平洋戦争から占領期に関する記述は、とても短いものになっています。というのも、日本の大学には触れられたくない歴史があるからです。なぜなら、戦時体制に進んで協力したり、あるいは反戦を訴えて辞任をした教授もいますし、アメリカの占領がはじまると「追放」(パージ)された教員までいます。

占領下、日本の有名大学にどのような運命が待ち受けていたのでしょうか?

立教学院


1945(昭和20)年10月24日(水曜日)、日本のキリスト教化を夢見ていたマッカーサー元帥は、キリスト教に関連する日本の全ての教育機関を調べろと指令。戦時中に解職された教職員の氏名とその理由、キリスト教教育に悪影響をもたらした学則や規則の変更点、学校が受けた侵害等を早急に報告させた。そして、何か問題が起こっていたら、すぐに以前の状態に戻すよう命じたのです。

教育界では「国家神道」に染まっていたとGHQによって見なされた者、キリスト教を迫害した教師たちは追放された。

たとえば、キリスト教聖公会を母体とする立教大学(前身・立教学院)では、どんな出来事が起こっていたのか?

戦時中にキリスト教職員の追放、教科の改廃、大学設置の目的を「基督教主義ニヨル教育ヲ行フ」から、「皇国ノ道ニヨル教育ヲ行フ」と変更して「信教の自由」を侵害したため、総長の三辺金蔵(さんべ きんぞう・1881〜1962)ら11名が罷免された。

三辺総長の演説


三辺金蔵は、戦時中の1943(昭和18)年に立教大学総長に就任。キリスト教徒の三辺は、大学運営にあたり「国体明徴運動」の煽りや軍部によるキリスト教系学校に対する圧迫と、キリスト教主義教育を両立させるために板挟みにあっていた。

しかし、時局の流れには逆らえず、三辺は総長就任に際して、次のように演説したのです。


第一はこの立教大学の教育からキリスト教主義を一切除去することであります、キリスト教主義の学校として生まれ、育ち発達して参りました過去70年の垂(なんな)んとする長い歴史の因縁に囚われて、これを見ますれば、このことは誠に忍び難きことのようにも思われませうが、教育と宗教とは分離すべきものである、両者の混同はこれを許さずといふ日本教学の本旨からこれを観ますれば、かくの如きは畢竟一個の私情に過ぎませぬから、吾々は勿論これを擲(なげう)たねばならぬのであります


三辺は、立教大学の教育はキリスト教と無関係だと演説していた。マッカーサーやGHQ職員から、大きな怒りを買ってしまったのです。


ー岡崎 匡史

・「ポール・ラッシュと立教学院」に続く

PS. 以下の文献を参考にしました。
・GHQ/SCAP『GHQ 日本占領史 第20巻 教育』(日本図書センター、1996年)
・塚田理『日本におけるキリスト教学校』(リトン、2002年)
・「立敎學院總長ら罷免」『朝日新聞』1945年10月29日 朝刊