朝鮮戦争


北朝鮮の建国は1948年ですが、この時の日本はGHQによる占領下にありました。東京に居たマッカーサーはトルーマン大統領に対して、北朝鮮が韓国に攻めてくるだろうと警笛を鳴らしておりました。マッカーサーが見ていたのは、北朝鮮とその後ろ盾となっていたソ連、そして内戦状態にあった中国です。中国では毛沢東と蔣介石が戦い、毛の軍隊が大陸中国を掌握しました。蔣介石は台湾に逃れました。

マッカーサーの忠告に真面目に耳を傾ける人はほとんどいませんでした。誰もが「そんなにすぐに戦争など起こるはずもない」と考えていた。

1950年6月になるとマッカーサーの予測が的中します。北朝鮮軍が韓国に攻め入り、あっと言う間にソウルを占領しました。


反撃


そこで、マッカーサー率いる国連軍が介入します。国連と言っても、ほとんどが米軍でした。マッカーサーは、電撃的な仁川上陸作戦を成功させました。その後は、熾烈な攻防を繰り返しながらも、北朝鮮軍を中国との国境付近まで追い込んでいきました。

しかし今度は中国軍の介入に遭い、再び38度線付近までの後退を余儀なくされます。国連軍との戦いの中で、毛の長男が戦死します。彼にとって大切な後継者が死亡したわけです。普通の状態ではありません。中国は猛反撃を開始しました。投下された兵の数は100万以上でした。

「中国の勢いを止めるには25、6発、原爆を落とせば良い」とマッカーサーは考えました。それを聞いたトルーマンはマッカーサーをクビにしました。「こいつは第三次世界大戦を始める気か」と思ったのでしょう。


夢と消えた民主国家論


朝鮮戦争は日本にとって「朝鮮特需」と呼ばれる好景気をもたらしました。戦争に必要な軍事物資を作ることで、日本経済が活性化し始めます。産業構造にも大きな変化が生じました。

しかし、朝鮮戦争がもたらしたことはそれだけではありません。私が注目するのは、GHQが当初掲げていた理想的な民主主義国家としての日本像が、朝鮮戦争によって強引に捻じ曲げられ、微塵もなく姿を消し去ったことです。

憲法9条の理念はこの時にすでに形骸化したと言えるでしょう。警察予備隊が設立され、それが自衛隊へと組織化されて行きます。サンフランシスコ平和条約に署名した吉田茂は、その直後に別室に連れて行かれ、日米安保条約にサインしました。この瞬間から、日本は米国のための極東の砦となりました。


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西鋭夫のフーヴァーレポート

2016年1月下旬号「北朝鮮の情勢」− 4