原爆


1945年8月、広島と長崎に原爆が落とされました。それから10年後の1955(昭和30)年、「原子力基本法」が成立し、日本国内への原発導入が本格的に始まっていきます。

戦時中の日本は、原子力を用いた爆弾や発電方法についての研究を極秘に進めておりました。GHQによる占領が始まったとき、マッカーサーは日本にあった原子力関係施設やその研究設備等の全てを、日本から永遠に葬り去ろうとしました。例えば京都大学には、サイクロトロンという猛スピードで原子を回し、分裂させることのできる機械がありましたが、これも集められ、調査され、そのあとは破壊され、どこかの海に捨てられました。

ちなみに、GHQがこの時、研究禁止を命じたのは原子力関係だけではありません。飛行機技術の研究も禁止になりました。これがなければ、日本製の大型ジェット機などいくらでも作れたでしょう。


朝鮮戦争


しかし、朝鮮戦争がこの状況を一変させます。ソ連も原子爆弾の製造に成功していましたので、米国は大きな危機意識を持っていました。

当然のことながら、「極東の砦にも核が必要ではないのか」との議論になりました。そこで、日本における原子力研究を復活させるのと同時に、日本にアメリカ産の原発を持っていくことになった。GE、すなわちゼネラル・エレクトリック社の原発です。

その後、日本と米国は原子力に関する協定を結び、国内にて次々と原発を建てていきました。


原発と中央集権化


科学技術と政治は一見関係ないように思えます。しかし、この二つは、深く、密接に関係しております。

「原発は中央集権システムに馴染みやすい技術である」という議論があります。少数の専門家や高級官僚たちが高度な知識と情報を独占し、多くの人々の生活の糧となる電力を支配することができるからです。一方、太陽光や風力といった自然エネルギーは、一般の人々がその原理やしくみについて理解しやすく、かつ比較的小規模です。私たちの理解が届く範囲で電力が作られるわけです。

中央集権システムと原発という組み合わせは、戦後日本のあり方を見事に方向づけてきたように思います。まさに、原発に関する情報は一握りのエリートや一部の企業に独占されており、原発に関する情報も全て統制されていました。危険な情報など出すわけがない。環境に良い。永久に使える。こうした文言が並びました。


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原発の真相を知らされていない国民も、自分たちの生活の糧であるエネルギーを握られているわけですから、文句も言えないし、知ろうと思っても十分な情報は得られないままでした。



西鋭夫のフーヴァーレポート

2016年3月上旬号「忘れ去られた福島」− 2