乱獲


1800年代からヨーロッパの国々、特にアメリカとイギリス、フランス、それからノルウェーなどの北欧諸国が、大西洋を中心に大規模な捕鯨を始めました。

欧米諸国にとっての鯨は機械を動かすエネルギーでした。時は産業革命が全盛期を迎える頃です。巨大な鯨から取れるたくさんの鯨油は、非常に重要なエネルギー源でした。一番多いのがマッコウクジラです。良質な油が取れましたので、これを機械油としたり、それから町にライトをつけたりする灯油などのように使っていました。

油を搾り取った後の鯨は用無しです。肉は食べたことがないのでしょう。牛肉の方が美味しいと思っていましたから、わざわざ鯨肉を食べる必要がなかった。


石油の登場


19世紀も後半になっていくと、鯨油は徐々に使われなくなりました。きっかけは石油です。石炭はもちろん大昔から使われていましたが、イギリスで石炭を掘っていると、何か黒い油のようなドロドロとした液体が出てきたわけです。それが原油でした。

原油は少量でもいろいろなことに使えることがわかった。石炭、鯨油に並んで、石油が新たなエネルギーとなりました。鯨油は良質な油だったことは確かですが、それを取るためには大きな労力を割く必要があった。遠洋漁業を強いられましたし、鯨との戦いは命懸けで、命を落とすこともたびたびありました。


白鯨戦


鯨との戦いを描いた作品が『白鯨』です。英語のタイトルはMody-Dickです。ハーマン・メルヴィルという世界的作家が書いたマッコウクジラとの戦いの小説です。メルヴィル自身、捕鯨船に載っていた経験がありますから、描写が細かい。


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さて、その白鯨戦の舞台ですが、大西洋ではなく、太平洋だった。

なぜ太平洋だったのか。太平洋諸国では、捕鯨は一つの文化として息づいていました。獲り過ぎることはなく、必要な時に必要な分だけ捕鯨を行なっていた。お鯨さまを大切にしながらの捕鯨です。だから太平洋にはまだまだたくさんの鯨がいたわけです。

この物語の背景となった太平洋の片隅に日本という国がありました。そこに1850年代初頭、米国の船団が訪れます。ペリー提督率いる黒船です。1853年、嘉永6年のことでした。




西鋭夫のフーヴァーレポート

2016年5月上旬号「捕鯨外交」-3