日米和親条約の真相


私たちは学校で、「日本の近代化は黒船来航から始まった」と習ってきました。ペリー提督が日本に来て、空大砲を撃ち、「徳川幕府よ、開国せよ。鎖国をやめろ」「開国せねば、江戸城を潰すぞ」と圧力をかけた。黒船に驚いた江戸幕府のお殿様たちは恐れ慄き、圧力に屈した。そして米国との間で不平等条約を結ばざるを得なかった。これが一般的に信じられているストーリーです。

しかし、なぜペリーたちは、大砲を打ち鳴らして脅しまでかけたのに、結局のところは軍事基地などを作るわけでもなく、水や食料、燃料を求めたのでしょうか。そもそもペリーたちはなぜ遠く離れた日本までやってきたのでしょうか。これらの疑問に教科書は答えてくれません。


鯨を求めた欧米諸国


ペリー提督が日本にやってきた大きな理由は捕鯨です。捕鯨をジャンジャンさせてくれる海域と港が必要だった。米国の次にやってきたのは英国でしたが、英国もまた捕鯨をさせてくれるところを探していたわけです。

民主主義や自由貿易なぞ美辞麗句に過ぎない。アメリカもイギリスも捕鯨という強欲に駆られて日本にやってきた。この流れの延長線上で、ペリーが日本海域に派遣されたのです。

ペリーが日本にやってきたとき、通訳者としても、アメリカのことをよく知る知恵袋としても、大抜擢された人物がおりました。ジョン万次郎です。


ジョン万次郎を救った捕鯨船


ジョン万次郎の日本名は中浜万次郎と言います。彼は、江戸と今の和歌山のあたりを行ったり来たりしていた、小さな船会社の乗組員でした。それが15、6歳の時、台風にあって鳥島というところに流されます。鳥島にはアホウドリがたくさんいました。アホウドリは、人間が近寄っても逃げないのでアホウドリとか言われる。ジョン万は、その鳥を食べて、生き延びていた。

その様子をたまたまアメリカの捕鯨船が見つけて、ジョン万を含む7人をホノルルへ連れて行った。当時のジョン万は15歳でしたが、船長がその資質を見抜き、アメリカ東部の自分の家へ連れてゆき、学校に行かせたわけです。彼は優秀で、英語を習得し、学校でも最優等生として卒業しました。その後は、捕鯨船の副船長に任命され、大西洋と太平洋で捕鯨をしていました。

そんな彼が1851年に日本へ帰ってきた。ペリー来航の2年前のことでした。


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中浜万次郎




西鋭夫のフーヴァーレポート

2016年5月上旬号「捕鯨外交」-4