東京オリンピック


1964年の東京オリンピック時は、東京というより、日本全体が一丸となって必死でした。戦後日本がどこまで回復したのか、どれほど優秀なことができるのかを、世界に見せたかった。

国民も盛り上がりました。でも、そんな時であっても、朝ごはんは薄いみそ汁でした。ラッキーだったら豆腐が入っていた。菜っ葉みたいなのいっぱい入っていました。そこに麦ご飯です。


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子どもの頃


私は小学校のときからずっと田舎でしたから、畑巡りをして遊んでおりました。5〜6人で仲間を作り、食べ物をいつも探していた。どこかでスイカがちょっと大きくなると、それをとって食べていました。トマトなんぞ、もう残ってないですよ。よその人の畑のものとわかっていたが、お腹が空きすぎていて、止めることができなかった。おやつなんか言ったら殴られる時代です。

冬はお寺の吊し柿をなんとかして盗ろうと頑張りました。泥棒を警戒して高いところに吊していても、よじ登り、小刀を使って縄をパアっと切ると、屋根を伝って吊し柿がダアっと落ちてきました。それを拾い、歓声を上げて、山に逃げる。そして美味しく頂きました。


食糧教育


戦後まもない昭和の日本について、今は誰も教えてくれません。飢えの経験を、学校でも教えないし、親も言わない。恥ずかしいと思っているのではないでしょうか。

現在、「食育」という言葉が流行っていますが、食育の前に食糧がなかった時代を振り返り、その教訓をしっかりと伝えていく必要があるのではないか。食べ物がない時代を知れば知るほど、農業の大切を実感することができるのではないか。

しかし政府は田んぼと畑を平気で減らしていきました。「作物を作らないと補助金を出しますよ」、と言って日本の農産業を壊滅的状態に追いやった。戦後の貧しい時代の教訓が生かされていないのです。

食べ物がない時代を知っている私たちからすると、自分たちで食糧を作れないというのは非常事態です。現状をどうにか変えていかなければならない。




西鋭夫のフーヴァーレポート

2016年6月上旬号「人口爆発」-7