給食政策


「食が支配されている」といってもなかなか実感がわかない。「変化に気付かない金魚は熱湯の中で死ぬ」という言葉がありますが、支配されている状態にいると、それが支配であることに気付けないのかもしれない。

日本の食物生活も戦後70年で大きく変化しましたが、その起点の一つは間違いなくGHQによる占領です。占領は1945年から始まりますが、その頃、私はちょうど小学校1年生でした。楽しみにしていたのは給食です。これは、飢餓状態の日本では暴動が起きるのではないか、と考えたマッカーサーによる政策の一つでした。

学校給食がないと子どもたちは皆、飢えていたと思います。古い写真を見ると、よくこんなガリガリで生きていたなと思います。インターネット上で探しますとたくさんありますから見てください。どれだけ汚い服を着て、ガリガリだったかわかると思います。


献立


給食で出てきたのは、全てアメリカの食べ物でした。まず、私の世代が永久に忘れない脱脂粉乳、日本では「スキムミルク」として売られていますが、これがあげられます。それは、普通のミルクを熱風で乾かす間に、脂肪分を取り除いて粉末にしたものです。それに熱湯を足して私たちは飲まされました。

このスキムミルクは凄まじい匂いがしました。脱脂粉乳は大抵お湯で溶かすと、今でもそうですが真っ白です。私たちが飲んでいたのは薄茶色でした。なぜ薄茶色なのか。それは酸化です。当時は、アメリカで残った古いミルクが日本に運ばれてきたのでしょう。女の子たちは嫌がって飲みませんでしたので、私が代わりに飲んでいました。

それとコッペパンというアメリカの小麦で作った小さな細長いパンと、ラッキーな時には小さなイチゴジャムが付きました。焼いたアーモンドが3つか4つ、そして乾燥したりんごも3、4切れ出てきました。


19h4.jpg



救いと洗脳


私たちはアメリカの食べ物で育ちました。一般人にはアメリカからの食糧に「救われた」という感覚はありません。アメリカの食べ物で育ったのです。しかし、おそらく日本の政治家の人たち、親分さんたちはアメリカの食べ物で救われた、と考えています。

アメリカ政府に毎日感謝です。マッカーサーを怖がる人はほとんどいません。皆さん、マッカーサー元帥殿、と呼び始めました。それほど日本はアメリカの食べ物に救われたのです。戦争でどれだけ殺されたのか、もう完璧に忘れています。小学校では原爆の話も全然出てきません。中学生の時も出てきませんでした。

食べ物で私たち日本人は完全にアメリカ一辺倒に洗脳されていきました。




西鋭夫のフーヴァーレポート

2016年9月下旬号「アメリカの食文化支配」-4